雑誌、新聞に紹介されました


新聞に載りました。 朝日新聞 北海道版

レポート 冨田きよむ氏  NPO法人理事長 元報道カメラマン

         旬の味を知ってもらいたい。
大平町の清水寺へ向かう道中に、内海ぶどう園の畑が広がる。嫁いでからぶどうの栽培に携わりはじめた克子さんは「やっぱりお客様の”おいしい!”の一言がうれしい」と話す。ここでは旬の味を知ってもらいたいという思いから露地栽培にこだわり、また、あまり農薬に頼らない。そのため、天気や病気に左右されることもしばしば。収穫まで気が抜けない日々を送っている。しかしお客の”おいしい”の一言で、その苦労がやりがいに変わると言う。もうすぐの収穫を迎える巨峰の味見をした克子さん。どうやら今年もお客様の、”おいしい!”の一言がきたいできそうだ。
『季刊ワイナート秋号』 
 
美術出版社
『おいしくて安全な
食品取り寄せカタログ』
成美堂出版社



            本より抜粋

『どうかうちの巨峰やピオーネを食べるときは、皮のむけ方を見てください。果肉の色を見てください。香りをかいでください。』と控えめに話すのは内海ぶどう園の内海孝さん。
 食べやすいでしょう?果肉の色が明るいでしょう?香りがいいでしょう?これはさまざまな苦労を重ねたうえでの自信作なんです。
 健康な身体が食べ物で作られるのだから、植物もまた健康に育てられなければならない、と内海さんは考えます。
 植物を育てるのは、その土地の気候であり、地質でもあります。日本の気候は多雨多湿で土壌は酸性土と火山灰土が多いため、作物は軟弱徒長に育つ傾向にあります。

 中略

内海ぶどう園は山あいの小さなぶどう園ですが、日本の農業の意識革命の、ここがひとつの発信地であるといえるかもしれません。ここで生産されるぶどうの品質の確かさに触れてからは、ぶどうの収獲期を待つ愛好家も年々増え続けているということです。

『季刊ワイナート秋号』 
 
美術出版社
 2000年10月1日発行

            本より抜粋

日本が世界に誇る葡萄品種,巨峰がこの世にデビューしたのは1945年のこと.フランスアカデミーの会員でもあった葡萄研究者、故大井上康氏が1939年から交配を重ね、戦中戦後の動乱期を守り抜いて育成した珠玉の一房である。誕生から約半世紀,大井上氏の遺志を継いだ日本巨峰会の会員が中心になって栽培技術の研鑚,品質向上に努めてきた結果,巨峰はいまや日本を代表する葡萄品種となった。現在では各地で栽培されているが、大井上氏の生み出した栽培技術論、栄養週期説に基づいて作られている由緒正しい巨峰となると、滅多にお目にかかれるものではない。内海葡萄園は、この本物の巨峰に出会える数少ない葡萄園だ。植物の生理をねじ曲げず、その成長に適した栄養を適期に与えてやる栄養週期説で育てられた巨峰の果実は,果肉の透明感,瑞瑞しさ、香りの高さが、健やかに育った葡萄の味わいを堪能させてくれる。他にもピオーネや、栽培の難しい希少品種のロザキ、リザマートなども出色のできだ

真摯に有機食材と取り組んでいる生産者には、自分の仕事を商売と割り切っている人はまずいないだろう。時間,労力両面での負担、リスクの大きさ,少量生産など,あらゆる方向から考えてもまず,商売としての旨みは成立しないのだ。しかし、どの生産者も手掛ける食材に心底惚れ込んでおり,生み出した味には絶対の自信を持っている.確固たるプライドを持つ作り手が全身全霊を傾けて作り出す食材は何よりも信頼に値する。 日本のような高温多湿の気候は葡萄にとって決して適した環境とはいえず、栽培の難しさを補うためには農薬や化学肥料などの薬剤の力に依存する傾向が強くなる.半世紀前、アメリカ系葡萄キャンベルアーリーの枝変わり系統石原早生とオーストラリアのセンテニアルとを交配して作り出された大粒代表格の巨峰は、今でも人気品種として栽培する生産者は多い。しかし、倍数体品種(細胞核内の染色体数が普通のものの倍数になっているもの)の宿命で果粒は大粒化したが、環境変化に弱く、成長も不安定な性質を持つ.葡萄をこよなく愛する内海葡萄園の内海孝さんは、極力低農薬化を進めることに心を砕いている。危険性の高いホルモン剤や農薬は使用せず、木酢液散布や圃場の土に微生物を入れて健康な土作りを行うなど、少しでも安全な葡萄を作るための努力を惜しまない.内海さんが父親の跡を継ぎ、葡萄を作り始めて18年。地道な作業を繰り返して作った土は微生物やミミズを育んでいる.(雑誌より)                          

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